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2002年6月 今日も港座に来てしまった。特別用事もないのにだ。映画館にしては信じられないほどの大きさの舞台に立って客席の方を眺めながら、とり止めもない妄想に我を忘れて時を過ごす。いつもココに来るとそうしてしまう。ただひとりでいるのではない。たくさんの客席がこちらを見ているような気がしてそう感じるのだとは思うが。何者かと対話しているような錯覚に陥る。それが歴史という物なのだろうか。
明治20年に芝居小屋として生まれ、東北一の芝居小屋と謳われた港座。昭和29年には建て替えられ、2階席のあるおおlきな映画館だったことをうっすらと覚えている。その後改築し、大劇場と小劇場、それに複数の飲食店をその建物に取り込んだ。昭和54年には中劇場を増築し、ほぼ現在の姿となった。そして・・・・中町に港座の姉妹店としてあの「グリーンハウス」が建てられた。洋画専門店だった。
そのグリーンハウスの入口の回転ドアを入ると、紅いカーペットの長いアプローチの両脇にショーケースが備えられ、その中には高そうなブランドのカバンなどが飾られていた。2階には指定席、喫煙席が設けられ、館内には本格的な喫茶室があり、いつもコーヒーの香りが文化的な雰囲気を醸し出していた。また、シネサロンという10席ほどの小劇場があり、少し前の名画を低料金で上映していた。電話で予約も出来た。「グリーンハウス」は市民の憩いの場、社交場として賑わい、映画評論家の淀川長治氏に「世界一の映画館」と言わしめた。今も映画が始まる前に鳴っていた「ムーンライトセレナーデ」を思い出す。しかし、その後酒田大火で消失し、今はない。
「グリーンハウス」が早死にした伝説の放蕩息子であるとしたなら、「港座」はその息子が亡くなった後もじっと耐えて酒田の街を見守り続けていた母親のような存在である。
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