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「HACHI 約束の犬」をみかわで観てきました。
動物モノなのに、こんなにわざとらしくなく、しかもハチの心情(?)までもがスクリーンに滲み出されるような映画は初めてでした。珠玉の名品「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」のラッセ・ハルストレムにしか撮れない、オリジナルな素晴らしい作品です。
アメリカ伝統の「スモールタウンもの」でもあります。ハルストレムは北欧の人ですが、アメリカに進出してから、スモールタウンンものである「ギルバート・グレイプ」を撮っています。
スウェーデン時代に撮った「マイライフ・・・」もやはり、あまり大きくない町と田舎の村が舞台になっていますが、「HACHI」で、ハチとリチャード・ギア演ずる大学教授とが出会う駅や街の描き方がとてもいい。
原作(?)の「ハチ公物語」も「渋谷」が今のように賑やかになる、遥か昔の「渋谷村」の話でした。
この映画を観ていると、地方都市に住んでいることの良さも素直に感じられます。
そして、「忠犬」という日本的な描き方は丁寧に排除し、教授がハチを拾ったのではなく、「ハチがあのひとを見つけたのよ」という教授の妻の言葉がこの映画のコンセプトを象徴しています。古代からパートナーとしてかかわり続けてきた人間と犬。
主人と従者という枠を跳び超え、教授がなくなってから9年間、ハチが渋谷駅に通い続けた事実の意味を、この映画は、まるで「ひと筆描き」のような軽やかさをもって鮮やかに、観る者に問いかけてきます。
この映画は「追憶」の映画でもあります。教授が亡くなった事実を受け入れられない家族や街の人々はその思いをハチに託します。
ハチが9年間教授を待ち続けたのは、人間のように感傷的なのでも、ただ躾けられたのでもなく、「身体が追憶している」ということなのだと、そして周りの人間達より「ほんの少しだけハチは賢く、ほんの少しだけ気高い」という描き方がやはりハルストレムらしいな、と大変満足して帰ってきたのですが、平日のレイトショーで観客は私のほかに20代の女の子二人の計3人。
テロップが流れ終わり、客電が点いた時、一瞬、どこにいるのかわからなくなりました。いつも感じるのですが、あそこで観た後感じる無機質なそらぞらしさは何なのでしょう?
ロビーに出ると映画館員の姿はなく、灯りは消え、カタログは買えず、一階に降りると「ハチ公」の銅像のレプリカがあって写真を撮る。閉まった店舗は暗く、網がかかっていてハチ公周辺の明るさとのコントラストが際立つ。店内に人はほとんどいませんでしたが、若いカップルが自分と入れ違いに入って行く。訛りはなく、ファッションも、仙台でも栃木でも渋谷でも変わりがない。この建物もそう。日本中どこに行っても変わりがない。
平日の夜10時半過ぎ、外は真っ暗の田んぼ道。車のミラー越し暗闇の中、幻のように巨大な建物が建っていた。ここはどこだろう?渋谷でもない、アメリカの田舎でも酒田でも庄内でも・・・もしかすると日本でもないのではないか、なんて観た映画と映画館とのギャップに苦しみ、「ああ、港座でHACHIを上映したいな・・・」と思った夜でした。
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