さて、今朝は酒田の海上に霧が発生したようなので、幻想映画館「霧笛座」を開場します。今夜の映画は 1988年のフランス映画。「小さな泥棒」 主演:シャルロット・ゲンズブール 監督:クロード・ミレール
フランスの田舎町で育った少女の話で、大人になる前の少女の危うさが画面からはち切れんばかりに溢れ出てくるようだ。
シャルロット・ゲンズブールがいい。決して特別好きな女優ではないんだけれど。この映画では欠点さえもが魅力的に見える。映画の魔力とはそういったところにある。
まるで、この時期のシャルロットのための企画のように思えるほどシャルロットはこの役にはまっている。フランソワ・トリュフォーが映画化しようとしていた遺稿を、長くトリュフォーの助監督や共同脚本をしていたクロード・ミレールが引継ぎ映画化したもの。
オジサンとオバサンの家にひきとられ、母親からはたまに手紙が来るだけの16歳の少女ジャ二ーヌは万引きを重ねる。万引きした店の主が家に怒鳴り込んできたことでオジサンの家を逃げ出して都会へと出て行く。 住み込みの家政婦の仕事を見つけたジャニーヌは音楽を教える中年の男に出会い時々逢瀬を重ねるようになる。一方では若い自分と同世代の男と友達のような恋人のような関係を続けながら。
ある年齢以上の男性の観客なら、若い男の気持ちになったり、中年男の気持ちになったりしながら映画を観ることになる。自信も不良少女に翻弄された思い出が一瞬胸をかすめたり、危なっかしい故に少女を守りたくなる中年の男の気持ちがわかったり、ついには少女のわがままにこれ以上は付き合い切れないと逃げ出す気持ちもわかったりと、わが中年男の感情もいそがしい。
途中からシャルロットの演技はもう演技なのではないんじゃないだろうかという錯覚に陥るがそれはあくまで錯覚。それがいい映画というモノ。
それほどジャニーヌの本当の人生に一人の男としてつき合ってるようなそんな感覚に陥る映画。
このジャニーヌという少女の役は、もともとトリュフォーの名作);">「大人は判ってくれない」にあった役で、いろいろな関係から最終的に削られた役であるらしい。「大人は・・・」はトリュフォーの長編デビュー作でありトリュフォー自身の自伝的な話であるとされている。「小さな泥棒」の企画はトリュフォーも思いいれの深いものであったことは想像に難くない。
ミレールの「小さな泥棒」が名作であるに係らず、いや名作だからこそトリュフォーの「小さな泥棒」を観たいと思うのはファン心理というものだろう。トリュフォーがシャルロットを演出したらどうなるだろう?もっと素晴らしい映画になるに違いない。中年男や若い恋人の描き方もトリュフォーの影響が色濃く繁栄されるだろう。そんな映画を観たかった・・・とファン心理は留まるところを知らない。
ミレールの「小さな泥棒」はトリュフォーの「小さな泥棒」を永遠に超えられないのだ。
こんな名作にもかかわらず,
この世に存在もしないフランソワ・トリュフォーの映画「小さな泥棒」を・・・・