徹底して「男目線」の映画である。
今年の、映画評論家が選ぶ映画の一位の座をあの「市民ケーン」から奪い取った。
しかし、公開当時の評判は必ずしも良くなかった。
キム・ノヴァク演ずるマデリンには観るものを引き付けて止まない妖艶な魅力が
あるけれど、マデリン役は当初ノヴァクではなくヴェラ・マイルズであった。
ヴェラ・マイルズの妊娠によりノヴァクに役が回ってきたわけだが、ヒッチコックは
マデリン役に妖艶さよりも清楚な上品さを求めていたようだ。
ノヴァクはヒッチに対して演出に対しても口を挟むようなちょっと反抗的な感じも
あったらしい。ヒッチのことだから演出に口出しされるのは相当嫌だったんだろう。
泳げないノヴァクに海に飛び込む演技を強要したりと
なかなか大変な撮影現場だったようだ。
しかし、ノヴァクをヴェラ・マイルズに(またはヒッチの大好きな
グレース・ケリー)に重ね合わせようというヒッチコックの努力がそのまま
映画の中の女をマデリンに重ね合わせようとする男スコティ
(ジェームス・スチュアート)の狂気に通じる。
そしてマデリンのコスチュームであるグレーのスーツとアップの髪型が
まるでテンソクか喪服のような効果でノヴァクの妖艶さを際立たせるのだ。
隠そうとすればするほど、その奔放な、一歩間違えると下品でさえある色っぽさを
発散しはじめる。
その下品さはもう一人の女ジュディーに反映されている
それは、ノーマ・ジーンとマリリン・モンローの関係のように
まるで「女優」そのものを描いているようだ。
そう実はこの映画、「映画」そのものを描いている。
スコティーは映画監督であり、自分の「理想の女」を女優に演じさせる。
初めは相思相愛のいい関係になるが、やがて
女優は型にはめられるのに抵抗し、2人の関係は結局破綻して
死を選び(次回作の役を断り)
監督はまた性懲りもなく、別の女優で自分の理想の女を追求する・・・・
深層心理的に言うと、こんなところか。いやしかし・・・
計算しつくされながらも
計算外のことを内包しつつ成立するのが、「映画」
この映画のマデリンの魅力的なこと・・・・
この魅力を無視することができる男ははたして男と言えるのだろうか。
この映画をまだ一度も観ていない方はぜひお験しあれ!
ヒッチコックが、いかにあぶないおっさんで、いかに喰えない男であったとしても
この世に「めまい」を産み落としたことで、
映画の神様はきっとこの男を赦している。