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仕事の移動中、大山の空に夕映えを確認、夕日が沈んだ直後のようでした。
東北地方は梅雨明けしたそうで、空がとても澄んできれいでした。
日和山からの夕日を思いながら車を走らせていました。
それにしても暑い一日でした。
先日、藤沢周平記念館に初めて行って来ました。
私が藤沢作品に触れたきっかけは、
テレビの「清左衛門残日録」
これがなんともステキな作品でした。
藩の要職を引退し、息子夫婦、とくに嫁との関係を軸に隠居を
していながらも完全に隠居し切れない男の残日録。テレビの映像
でも夕日の映像が効果的に使われていました。
藤沢周平のエッセイにあったのですが、
電車に乗っているとき読みかけの本の魅力に夕日の力が打ち勝ち、ココロ奪われるように
見たその夕日は、他のどこにもないすばらしい魅力に満ち溢れていた、とあります。
庄内の人は何かにつけて地元について謙遜しがちですが、夕日もそうです。
どこにもありそうで実はどこにもない。
圧倒的な夕日の前で言葉はない。ただ、心奪われ見つめ続けるのみである。
在来野菜と一緒だ。庄内で食べる庄内の在来野菜は一番である。
同じように、庄内で観る夕日、これも一番である。
そして、オススメの夕日スポットはわが日和山展望台。ただし私も日和山からながめる
夕日にしばらくお目にかかっていない(笑)
この類稀なエンターティメント性あふれる物語に出あったのは大学の頃で、
同じ演劇研究会に所属する女性に教えられた。すでに「未来少年コナン」で
宮崎駿のファンになっていたが、うかつにも「カリオストロ」の存在を知らなかった。
封切から1,2年経ってたのだろうか、封切公開時にはあまり入らなかったようだが、
このころ既にマニアが存在していたように記憶している。
カリオストロ公国という独立小国のゴート札という偽札をめぐるお話。本家本元の原作アルセーヌ・ルパンシリーズの「青い目の令嬢」などを
参考にもしており、
「カリオストロ」という名前とともにアルセーヌ・ルパンファンの心をくすぐる要素もある。
宮崎駿の初監督作品、この映画が不入りのため「風の谷のナウシカ」を撮るまで
3年間待たざるを得なかったらしい。しかし、「カリオストロ」が上映されるたびにファンを
獲得し、関係者の映画に対する評価も高く、ダカラコソあれだけ「ナウシカ」がブレイク
したという側面もあるだろう。
宮崎駿の他の映画同様、乗り物の描き方がカッコイイ。ルパンたちが乗るフィアット500や
オートジャイロなどどこか懐かしくてデザイン性のある乗り物たちが登場し、
しかも物語の中のキャラクターのような存在感がある。
おそらくマニアならずとも、何度か観ていると思われるが、
有名な城の屋根のシーンや
時計塔のシーンなど、ここは改めて大スクリーンで確認しておく必要があるだろう。
あの浮遊感覚は映画館で味わって欲しい。
そしてこのストーリー性あふれる冒険活劇をDVDでメールに煩わされながら細切れに
観るのではなく、映画館の闇に中で一気に味わってもらいたい。
日和山夕日美術館がなかなか開館できません。
夕日の時間は、仕事の途中なのでうまくタイミングが合いません。
つくづく思うのは、夕日が沈んだ時に、仕事を終えられたら、きっと健康的な生活
が送れるだろうなということ。
現代人の不幸は、夜も仕事をするようになった時から始ったと思います。
昼間、仕事の移動中に、新緑に輝く田んぼの中をキース・ジャレットのピアノを
聴きながら車で走る・・・
なんかとっても贅沢な気分でした。今日は暑すぎず、天気も悪くなくて最高の夕日日和
でしたがその後は事務処理にかかり切りで事務所を出た時はまっくら.
夕日が出たのかさえわかりませんでした。
自ら人生を終わりにする前に、観る映画は何だろう?と考えた。
自ら終わりにするぐらいだから、映画なんて観たくないかもしれないし、
そんな余裕はないかもしれない。
でも、もしこの映画を観るように自分を仕向けられたら、
自ら命を絶たなくてもよくなるかもしれない。
そうやって、この映画は何人の人間の命を救ってきただろうか・・・・
映画「素晴らしき哉、人生!」監督:フランク・キャプラ 主演:ジェームス・スチュアート
映画の後半、叔父のミスで会社のお金を無くしてしまった主人公が、
橋の上から見つめる川面はとてつもなく暗い。それまでの明るく、
伸びやかなトーンから一転して暗くて辛い展開へと雪崩れ込んでいく。
主人公は川面に飛び込んで死んでしまわなくてもすむが、その代わり
自分が存在しない世界を垣間見ることのなる。
その世界の暗くて恐ろしいこと・・・・あんなに生き生きと明るかった町全体が
暗く淀んだモノになっている。
自分の母親が自分を見ても誰だかわからない。「あなたの息子だよ」
と言っても「そんな筈はない、息子なら小さい時分に事故で亡くなった」と
怪訝そうな顔をされる。
妻を捜しあて、話しかけるとストーカーだと思われて大声で助けを呼ばれてしまう・・・・
これは主人公にとって地獄以外の何物でもない。
それは恐ろしいのと同時に、一人の人間の人生が世界に与える影響の大きさを
教えてくれる。
自暴自棄であった主人公が、もう一度人生をやり直したいと願った時、
世界は霧が晴れたように明るくて希望に満ちたモノに変り始める。
日本では今年も自殺者の数が多く、年間3万人を超えるペースらしい。
一日80人を超える人たちが自らの命を絶っていることになる。
そんな精神状態に自分がなった時に、ビデオ屋に駆け込み
「素晴らしき哉、人生!」を借りてもう一度観ることができるだろうか?
ビデオ屋に行くのがまずひと苦労だ。行ったら行ったで、そんな時に限って
見つかりにくいものだ。ビデオ屋にない可能性もある。次のビデオ屋に行く。
借りられている可能性もある。そうだ、このDVDを持っている友人がいた・・・・
もし、どうにかして観ることができたなら、またそこで人生が開け、その先、
けっこういいこともあるだろうと思える。
・・・・映画の力もそう捨てたもんではない。
横澤 徹さんのサックスを聴いて、「キャバレー」という昔の角川映画を思い出した。
主演は、野村宏伸。監督は角川春樹だったと思う。原作は栗本薫、脚本、田中陽造。
主人公「俊一」のひたすら「音」を追い求める求道精神と横澤さんのマジメさが重なった。
大学のジャズサークルのぬるま湯に飽き足らずに俊一は港町の場末のキャバレー
「スター・ダスト」で仲間のバンド仲間とともにステージをつとめる毎日。
そんな或る夜、皆に恐れられている滝川という名のヤクザ(鹿賀丈史)に「レフト・アローン」をリクエストされる。
曲の感想を語った滝川の言葉に思わず熱く反発した俊一を、滝川は気に入り、
それ以降「スター・ダスト」を訪れるたびに「レフト・アローン」をリクエストし続ける。
その昔、滝川はかわいがっていた舎弟を、組の規律を保つために自らの手で殺した際、
壊れたジュークボックスが流し続けた曲がレフト・アローン。
以来、滝川の頭の中で「レフト・アローン」は繰り返し流れ続けることになる。
かけがいのないカタワレを失った哀しみを切々と訴えかける名曲「レフト・アローン」
ビリー・ホリデーが残した詞を、ビリーの伴奏者だったマル・ウォルドロンが曲を付けて演奏した。
栗本薫の原作自体このウォルドロンがビリーに捧げた曲がモチーフになっているようだけれど、
実際映画になるとこの曲の存在感はでかすぎる。映画がこの曲に引っ張られてしまう。
どうしてもビリー・ホリデーの重たい人生がのっかってきてしまうし、それに負けないぐらい・・・
負けてもいいんだけど、
俊一と滝川の間に確かな「絆」と「絆」が確かにあったからこその喪失感がほしい。
でもこの映画にはそれがない。スルッと抜け落ちている。だから雰囲気だけの映画になっている。
お金をかけたミュージックビデオみたいだ。でもそういうのも、映画の在り方としては有りかな。
この映画けっこう観たくなるんです。
雰囲気といえば、台町にはジャズがよく似合う。
「白ばら」というすごく映画的な雰囲気を持ったキャバレーも現役で存在している。
でもまさか、現代の俊一を「白ばら」のステージに立たせるわけにはいかない。
何の説得力もない。ただの絵空事になってしまうだろう。
ならば、例えば記憶喪失の中年男が主人公というのはどうだろう、
つぶれかけのキャバレーに立ち寄り、ふと舞台の袖で使われなくなっていたピアノを
弾いてみると自分でもびっくりするぐらいの凄い腕前で、
それにあわせてそれまでやる気を無くしていたフィリピンから来た女の子たちや
日本の女の子たちがやる気を起こして凄いステージを繰り広げ、
やがてそれが評判になり店は息を吹き返し、それは周辺の店にも飛び火して
それまで猫しか歩いていなかった街が賑わいを取り戻すというのはどう?
どうも私の頭の中ではすべてまちおこしに話を持って行ってしまうきらいがあるけれど、
できれば主人公は中井貴一あたりに飄々と演じてもらいたい。当然過去は最後まで明かされない。
音楽関係のすごい実力と実績がありそうだけれど誰もそれを知らないし、本人にもわからない。
もしくはわからない振りをしている。
話の始まりは港である。一人の中年の男が海に飛び込んで死のうとしている。
酔っ払いがそれを止める。
「なんで死ななきゃいけない?」
男は答える「帰る場所がないからさ・・・おれには記憶がないんだ。自分の名前もわからず、
家もどこにあるかわからない。記憶を無くしてしまったんだよ。
帰る場所がある奴にはにはわからないさ、帰る場所がない人間の気持ちはね・・・」
酔っ払いは男をキャバレーに連れて行く。
酒を飲んでもいっこうに酔えない男であったけれど
ふとキャバレーの舞台袖に使われなくなっていたピアノを見つけ・・・・
さて、話の取っ掛かりはいいけれど、それからの展開に苦労しそうだ。
まず、キャバレーの踊り子か歌手で魅力的な女性が必要。この女性と男の関係が話の中心。
パワフルで骨太の女だが、この女にも辛い過去がある。
酒田の出身ではないがこの街に懐かしさを覚え、以来住みついてしまったのだ。
女のふるさとの話を聞くと男もなぜだか懐かしさを覚え、忘れてしまったふるさとの情景を
思い出すような気がするのだ。
「けっきょく、わたしもあんたと一緒、帰りたくても帰れない。帰る場所がないんだ」
倖田来未に現代のディートリッヒを演じてもらいたい。
男と女はねんごろになりキャバレーに住みつく。男は女のために曲を作り、
二人の蜜月関係は続くが・・・・・
想像は無料なんで、莫大な制作費もかからない・・・・
ジャズのライブから始った幻想映画館
さて今月31日にもジャズライブがあります。
より大人の雰囲気の、一流ミュージシャンの競演です。
台町の夜をジャズで酔いしれてはいかがでしょう。
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